いわゆる「ふつう」という言葉が、意外と難しいと思うことってありませんか?
本日は、「普通」という言葉の使い方、考え方が、難しいと感じる、と言ったお話です。
ここ最近そんな場面に出くわし、つくづく考えさせられてしまいます。
本当に感覚には個人差がありますね。
普通に使ってしまいがちな「ふつう」
「ふつうさぁ…」
ふつう、そうでしょ
そう考えるのが、ふつうでしょ
ふつう、こうしない?
ふつう、こうするでしょ
っていう「ふつう」、私もつい、使ってしまうんですけど。良く耳にもします。
結果的に気持ちがおさまらず、まわりに相談
自分: 「私ふつうだよね?」「私が間違ってる?」
周囲の友人など:「いやぁ、それふつうだよ」、「あなたは間違ってはいないよ」「そのひとが ちょっと変わっているんじゃない?」と言ってもらって、
自分: 「そうだよね~」と安心する(笑)
例えば、ご近所関係のトラブル、仕事・職場でのトラブル、ごく身近な日常のやりとり、などなど。(法的トラブルなどは除きます)
でもね、その「ふつう」って、自分にとっての「ふつう」であり、相手にとっては「ふつう」ではない、ということがあるのが実際。
自分のものさしは合っているのかな
たとえ、一般的な事柄、一般常識であろうとも。
- 自分の常識がずれている場合もありうること
- 自分が間違っている場合もありうること
- 自分もご迷惑をかけている場合もありうること
- こちらが間違ってないのは、確実な時でさえ、通じない場合もありうること
たとえ、それが正論でも。
救われるとしたら、こんなことを頭においておくこと位でしょうか。
自分の出かた:
- 言い方ひとつで印象は変わる
- 「間違ってたら、ごめんなさい」「私の勘違いだったら、申し訳ないのだけど」と最初につけ加えてしまうと効果的(負けるが勝ち)
- 「ごくごくふつうに」「ごくごく一般的に」「ごくごくシンプルに」など、少しやわらかい言い回しにする
- 「ふつう」を押しつけない
相手のこと:
- 相手にも立場がある、相手にも言い分がある
- 頭ごなしに言われれば誰でもカチンとくる
- 最悪、その相手によっては、言っても無駄かも、あきらめる(長引くと疲れますし)
- 悲しいことに、あたりまえレベルでさえ通じない相手もいる(あたりまえという言い回しもあまり良くないかもしれませんが)
まとめ
その上でも、やはり相手にも理解して欲しいことはあります。
- 伝えるべきことは伝える
- 言うべきことは言う
- 我慢にも限界があります
- こちらだけが我慢する必要もない
- 本当に「正しいことは正しい」と言える勇気も、時には必要かな
正論VS正論
正論VS間違い
間違いVS間違い
単なる勘違い
いつまで、どこまで、ひっぱるか。
あえて、エールを贈りたい。
あなたの言っていること、あなたの考えは、決して間違ってはいないよ、むしろ「正しい」「正論」だよ。
「常識」で考えたら、それが「普通」だよ。
でもそれが、相手にとっては違うこと、理解できないこともあるんだよ。
極論、自分の「ふつう」にあてはめる、どちらが正しいか対決をしても、あまり意味がないのかもしれませんね。
「譲り合い」
ギスギスして、状況悪化するより、避けられるものなら、避ける。選べる相手なら、おつき合いの範囲や相手も選べるし、最低限のご挨拶だけでも良し。
白か黒か。そこそこのグレーがぶなん?(笑)
コミュニケーションもバランスでしょうか。
ストレス回避、そんなことを考える今日この頃です。
お茶にしましょう♪