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「メンテナンスフリーとか、お手入れ不要なんてありえないと思った話」からの発想の転換

本日のブログは、「メンテナンスフリーとか、お手入れ不要なんてありえないと思った話」からの「発想の転換」です。

先日、「今更ですが、メンテナンスフリーとか、お手入れ不要、なんてありえないと痛感している、今日この頃です。」なんて記事を書きました。

こちらの記事に詳しく書いてます→メンテナンスフリーとか、お手入れ不要なんてありえないと思った話

結論は、すべてものに、メンテナンスやお手入れは必要。
あるとしても、「一定期間」の、メンテナンスフリー、お手入れ不要ということ。と、私なりに、思いを改めた次第です。

発想の転換

そして、そこから更に、発想を変えてみることに。

ほこり、花粉、虫、汚れ、バイ菌。私、超苦手なんです。

ほこりとか、汚れのない世界ってないのかしら。とたまに考えます。(あるわけない)

ものがものである以上、汚れ・劣化(れっか)・老朽化。

食べものは傷んで腐る。

生きものだって、病気や老い。

ものには寿命がある。
人間だって。

でも日頃のお手入れや、メンテナンスでそれを伸ばしたりすることはできる。ものを大事にする。人間もカラダを大事にする。

大変だけど、メンテナンスやお手入れは、義務感だけにとらわれる作業ではない。

むしろ「価値あること」なんじゃないかと思うのです。

家事だって重要なおしごと

これは、いわゆる家事全般にも思うこと。
「家事」=「主婦」のしごと
女性の仕事、主婦の仕事、働いてないのだから、主婦って暇でしょ、できるはず、義務感、のようなイメージ(思い込みと世の中から捉えた、私個人のイメージです)。もちろん仕事も家事もバッチリこなすスーパーウーマンもいらっしゃいますし、得手不得手にも個人差があります。
今は、男性が手伝ってくれたり、役割分担と、女性よりまめな方、お料理上手だったりする方も多くいらっしゃいます。(大前提として、外に出てお金を稼ぐ・働くことは、確かにもっともっと大変です。)

でもなぜか、ぬぐえない「家事」のマイナスイメージ。確かに、めんどうだし、一生懸命やっても、誰からも褒めてもらえない、当然評価される機会は少なく、お給料をもらえるわけでもない。最悪な状況だと、やってあたりまえ、とまで思われてしまっている。

でもね、その単純作業を毎日やってくれる人がいるから、生活環境も整っているのだろうし、他の人達は、仕事に集中できたり、さっと出かけることもできる。もう少しポジティブに考えてみても、良いかなと思うのです。親だったり、奥さんだったり。

そして、あたりまえの毎日のことだからこそ、忘れないで欲しい。

生活していくうえで、やってあたりまえのこと、誰かがやらなければならないこと。
だからこそ、家事をこなすことだって、とても立派だと私は思うのです。

「家事」は「価値」のある立派なおしごと。

自分に自信を持とう。

そう考えると、ちょっとだけ、嫌なことも嫌じゃなくなりそう?

おうちは、私たちを守ってくれる、癒してくれる、居場所のはず。
ものだって、ひとつひとつ、自分をHappyにしてくれているはず。
トイレだって排水口だって、汚れを流してくれる大事な場所。
その大事なものを「ありがとう」ってきもちで、お手入れや、お掃除してあげられたら、少なからず、家事がめんどうくさい、ストレス、何で私だけがやらなきゃならないの?と悪いイメージの対象だけでは終わらなそうですね。頑張りすぎる必要はなく、自分だけがやらなきゃならないことでもなく。です。

まとめ

話は戻りますが、ものにあふれる、だいたいのものが自由に手に入れられる、情報や誘惑が多い、時代ですね。

実はない方がラクだったりする?

便利だけど、それが本当に自分に必要か、今一度、一歩引いて考えてみることも必要かもしれませんね。

ものには寿命がある。

人間だって。

ひとつひとつを、大事に大事にしてあげよう。

ものも、自分も。ゆとりをもって相手のことも。かな。

 

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